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「ひまわり物語」のはじまり!

今朝は臨時の児童集会がありました。この3月で転校していく4年生のO.Sさんと1年生のO.Mさんの姉妹から「ひまわりがつなぐ希望のメッセージ」が伝えられる会です。

二人は、4年前まで福島県富岡町に住んでいました。それが、あの「3.11」の東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故によって大量の放射性物質がまき散らされたことで、着の身着のままの避難をせざるをえなくなったのです。

O.Sさんのメッセージでは、こう語られました。

「4年前の地震の時、私たち家族ははじめは近くの中学校に避難しました。次の日の朝には原発が危険かもしれないという情報があって、富岡町の西にある隣の村に避難するように言われました。私たちが住んでいた家は原発からまっすぐ測ると7kmくらいしかありませんでした。避難するときには、そのあとずっと家に帰れなくなるとは思っていませんでした。」

「隣の村に行きましたが、避難所がいっぱいで入れず、さらに西へと向かい田村市大越町というところの体育館にやっと避難することができました。ここは原発から30kmくらい離れている場所でした。」

「大越の体育館では3日間過ごしました。その間も原発がどうなっているのか確かな情報がないまま、遠くに頼れる親戚や知り合いがいるならそこへ避難した方がいいと言われて、お母さんの実家がある鉾田市に避難してきました。」

「震災後、私たちが住んでいた家は放射能の影響でしばらくは入ることができませんでした。今でも私と妹は震災の前に住んでいた家には一度も入ることができないままです。お父さんとお母さんが地震のあとの家を写真に撮ってきてくれました。大人でも家に戻っていられる時間が決められていたので、庭は草だらけ、家の中は地震があったときのままでした。」

←富岡町の家

当時、幼稚園の卒園式もできずに福島から避難したO.Sさん、妹のO.Mさんとお母さんの鉾田での生活が始まったのが4年前だったのです。

今回、親子は福島県内に住まいを移すことになりました。これで単身で福島で働いているお父さんともいっしょに住めます。でも、富岡町の元の家に戻れるわけではありません。

Oさん姉妹から、旭南小学校のみなさんに提案がありました。「福島ひまわり里親プロジェクト」という”福島と全国がつながる活動”に、旭南小として「ひまわりの里親」として参加しては、という呼びかけです。そして、Oさん姉妹から、本校の児童代表に「ひまわりの種」が託されました。

←ひまわりの種が入ったのお手紙。

児童の代表(次期の児童会長、副会長)からは、「種を育てて、福島に送ります」という誓いのメッセージが伝えられました。種を通してつながりつづけることをみんなで拍手でかくにんしました。

校長先生からは、「Oさん姉妹とは転校で別れてしまうけれども、これはひまわりの種を通した新しい物語のはじまりです」という話がありました。

ひまわりの種が、これから「新しい物語」を作り出し始めます。その主役は、子供たちです。子供たちが「ひまわりの種」を通して心もつながり合えること、旭南小学校の子供たちが復興にがんばっている福島につながること。「新しいひまわり物語」が、いま始まりました。(^o^)

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