風土記の丘 到着!
先日,風土記という書物について社会科で学習しました。あれは何時代だったでしょうか。そのうちの「常陸国風土記」に由来する常陸風土記の丘(石岡市)には昼過ぎに到着です。空腹だったみんなにやっとお弁当の時間がやってきました。相当空腹だったのでしょう。広場に着くと急いで包みをあけて食べ始めます。
ボランティアガイドの方の案内で,資料室から外へと移動します。
石岡・宮台遺跡からの出土品の解説を受ける
貝塚
竪穴式住居の中は真っ暗。しかも狭いです。土と木と萱でできていました。
こちらは同じ竪穴式でも,弥生時代だそうです。上の方に通気口ができるなど,時代とともに住居も変化しています。
縄文人(弥生人)を模した人形がお出迎え。暗闇の中に人形が登場したので,ちょっと怖かったです。
茨城は,東北の蝦夷と呼ばれた人々を攻めるための最前線にあたり,この石岡市鹿の子という地域には,そのための武器等を作る軍事工場があったそうです。奈良時代から平安初期のころと言われています。
これはかの有名な高床式倉庫。解説の看板をN.Mさんが代表して読み上げます。看板のちょっと上を見ると,これもかの有名な『ねずみ返し』があります。授業でやったことを,みんながきちんと覚えてくれていました。
時代は進んでこの住居は江戸時代のもの。
楽しそうなもの発見! これが何だか見れば分かりますね。火おこしの道具です。みんな興味津々で,早くいじりたくて仕方ありません。順番に楽しんでいます。
縁側で記念写真。
※余談ですが,今の家には縁側というものがありませんよね。先日の家庭科の授業で,暑い夏を爽やかに過ごす工夫として「縁側で涼む」という昔ながらの記述があったのですが,「縁側って何ですか?」という質問がありました。「寿司屋の『えんがわ』しか知りません」という発言に教室は大爆笑。今日ここで写真を撮りながら,「ほら,これが縁側だよ」と教えたところ,「あ~!」と納得した様子でした。
1時間半ほどお世話になったボランティアの方に挨拶をして,風土記の丘を後にしました。校外学習はこれにて終了となりましたが,週末の宿題になっているまとめの新聞がどのように仕上がってくるかと今から楽しみにしています。
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