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6年生を送る会:校庭でのびのびと!

あと4日で卒業する6年生との,最後のお楽しみ会「6年生を送る会」が開かれました。

メインのゲームは,「しっぽとり鬼」です。6年生が鬼になったり,6年生が逃げたり・・。とにかく,6年生はでずっぱり (;´Д`) のお楽しみ会です。

▼低学年が逃げるのを,フラフープ二人組で追いかける6年生。ハンデ付です。これは低学年の勝ち。

▼中学年との対決は,完全フリーで6年生が追いかけます。よく見ると,姉が弟を追いかけています。(*^^)v

▼低学年に追われる立場の6年生が,開始前に休んでいます。なが~いしっぽが風になびいています。これを追いかけるのは,低学年。「送られる6年生」も大変です。

▼逃げて逃げて,ほぼ最後までのこった6年男子のN.Kさん(黄色い帽子)が,大勢の下級生に追われています。いくらなんでも,逃げ切れなさそうです。・・・と,それを遠くから見ているのは,K.Yさん。見れば,まだしっぽが残って「生きています」(^o^)丿 こういう技(?)もあるのですね。

▼6年担任のT先生にもしっぽが付けられて,逃げています。マラソン大会にも出ているアスリートですので,持久力はあります。・・と言っても,大勢の子供にコーナーに詰められて,アウト!!(;´Д`)

▼最後には,「ありがとうございました!」と,縦割り班の下級生からの「色紙」がプレゼントされました。嬉しそうに眺める6年生です。

▼6年生からのお礼の言葉は,Y.Yさん。下級生への言葉とともに,「先生方にもお世話になりました」との言葉もありました。

青空の下,春を感じさせる校庭で,6年生との思い出のひとときを過ごすことができました。

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100マス作文:特別賞 「3.11」

3月10日(木)の「100マス作文」で,4年生の4人が「3.11」の東日本大震災について書きました。翌日が5年目の「3.11」だったのでテーマに選んだようです。あの時は,まだ4歳の4人です。「特別賞」として,『あの日』の記録を紹介します。

「 『じしん』 K.Kさん

3月11日は,東日本大震災。私はその時,千葉県成田市から,潮来のおばあちゃんの家に行く所でした。車に乗っているとぐらぐらとゆれて,家の中にいた人はみんな出てきました。私はその時4才でまだ小さかったのでとてもこわかったです。あの時のことは,まだ覚えています。今年は5年目です。地震はこわかったので,もう起こらないでほしいです。 」

「 『3月11日』 T.Kさん

3月11日は,東日本大震災の日です。私は,地震が起きたとき,保育園でねていました。そしたら地震が起き,地震がおさまるのを待ち,急いで外にひなんをしました。私は,初めての大きな地震だったので,あの時の事はよく覚えています。その日からは,何日か,ひなん生活をしました。これからもいつ地震が来るか分からないので,地震に向けてそなえたいです。 」

「 『東日本大震災』 I.Kさん

3月11日に東日本大震災がありました。ぼくは,そのときようち園のかえりで,いとこの家へいってゲームをしていたら,きゅうに大きなじしんがおきてとてもこわかったです。ぼくたちは,すぐに外へにげてひなんをしました。じしんがおさまってから家を見に行くとこわれていました。いとこの家もこわれていました。じしんはとてもこわいのが分かりました。 」

「 『今日』 S.Rさん

今日,3月10日は,私のたんじょう日です。そして東日本大しんさいの前日でもありました。5年前の今日,私はほ育園にいました。ほ育園では,たんじょう日パーティーをやりました。そして,次の日,お昼ねの時間にじしんがおきました。先生たちの車に入ってむかえをまっていました。あの時,とてもこわかったのを今でも覚えています。 」

<校長コメント>

まだ4歳だったこの子たちにとっても,あの「3.11」の大震災は鮮明な記憶として残っているようです。大人でも恐怖だったのですから,小さな子どもにとってどれほど怖い体験になったでしょう。

「大震災」の怖さは,思い出すのもいやなことですが,反面で「わすれてはならないこと」でもあります。子供ながらに体験した「怖さ」をしっかりと100マス作文の中につづっています。とても貴重な記録です。そういう意味で,「特別賞」として紹介しました。

さよならリザ先生

今日は水曜日。5・6時間目はリザ先生の外国語の時間です。本日は今年度最後の授業です。そういうわけで,6年生は授業後にささやかながらお別れ会をしました。そう,6年生は卒業です。もう,リザ先生の授業を受けることはありません。短時間ですが。お手紙を渡して,寄せ書きを渡して,一緒に記念撮影をして,一人一人握手をして「リザ先生ありがとう」と伝えました。ただ,6年生には伝えていなかったので,彼らは知りません・・・。

「最後だからしっかりお別れしましょう。名残惜しいけれども。」と言ったら,「先生は4月からも会えるんだからいいじゃん!」と児童から言われました。いや,会えないのです・・・。

5年生の授業でもお手紙のプレゼントがありました。これまでお世話になりました。これからも頑張ってください。お元気で。あれ? 6年生の「お別れ」とは少し趣旨が違うような? そうなのです。リザ先生は4月から新たに他校の担当となるため,旭南小で英語を教えるのが今日が最後だったのです。

ということで,放課後の職員室でもささやかなお別れ会が。

H先生からの花束贈呈の後,リザ先生からお話をいただき,職員室に居合わせた職員と握手を交わすときには涙、涙、涙。本校にて5年間ご指導いただいたということで、リザ先生自身も、そして私たちも良い思い出がたくさん。名残惜しいですが,この後みんなでリザ先生をお見送りしました。

長きにわたり,旭南小のためにありがとうございました。これからのご活躍を職員一同,いや旭南小一同,お祈り申し上げます。

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