• 355460総閲覧数:
  • 21今日の閲覧数:
  • 113昨日の閲覧数:

ひまわり作戦 地元のお店にも(‘◇’)ゞ

地元の人々にも本校の「ひまわりプロジェクト」を広げようと,ポスターとチラシを作って,本日の放課後から「お店」にお願いにあがりました。

学校近くの「にんたまラーメン旭店」さん,「諏訪郵便局」さん。児童会長のH.Yさんがしっかりとお願いしました。

セブンイレブン樅山店さん,子供たちが「三角屋さん」と呼ぶ「菅谷商店」さんにもお願いしました。

菅谷商店さんでは,さっそく店の入り口に「このあたりがいいかな」と貼ってくれました。内側には「チラシ」を入れた封筒も付けました。ありがとうございます。

ほかにも,児童会の子供たちが手分けをしてお願いにあがりました。または,これからお願いにあがります。

協力いただけるお店は,上記のお店のほかに,

飛田製菓さん サングリーン旭(JA)さん ビッグハウス鉾田店さん セブンイレブン柏熊店さん ココストア旭店さん 仲屋商店さん

です。ご協力ありがとうございます。

[…]

「ひまわりプロジェクト」の呼びかけが茨城新聞に。(^_-)-☆

26日(火)の児童朝会で、「旭南ひまわりプロジェクト」について、ひまわりの種を買うための資金の募金の呼びかけを児童会がおこないましたが、その様子が今日の『茨城新聞』に掲載されました。

⇇クリックで拡大。

この3月に転校していったOさん姉妹との「つながり」から、福島との「つながり」を広げ、さらに旭南での地域への「つながり」へと、いわば「つながり」の輪がどんどん広がっていくことを願っています。

本校では、「旭南ひまわりプロジェクト」のほとんどの企画・制作・広報などをあくまでも児童が中心となって活動しています。

ひまわりの種を購入し、育てるために必要な資金について、児童会では募金をお願いしています。

<訂正> 児童会からのお願いのお手紙には、「5粒入りで500円」とありましたが、「5g入りで500円」だということがわかりました。m(__)m 5gというと1袋には50粒ほど入っているといいます。上記の新聞記事もそう書いてありますが、訂正いたします。たいへん失礼いたしました。

また、児童会では家庭でもこの企画の「ひまわり」を育てるという参加もあわせて募集しています。旭南小の学区に、この夏、たくさんのひまわりを咲かせてみませんか。そして、たくさんの種を福島に贈りましょう。(‘◇’)ゞ

児童会:「ひまわりプロジェクト」提案!

「旭南ひまわりプロジェクト」が動き出します。今朝の児童朝会で、全校児童への呼びかけが行われました。

昨年度末に、4年間の鉾田での生活から福島に転校していったOさん姉妹から託された「ひまわりプロジェクト」の種ですが、よりたくさんのひまわりの種を収穫するには、もとになる種がもっと必要です。そう考えた児童会が、募金を呼びかけたものです。

児童会では、全校児童への募金のおねがいとともに、「家庭でひまわりを育ててくださる方」も呼びかけます。

子供たちが主体となって動き出した「旭南ひまわりプロジェクト」を、学校、家庭、地域がバックアップして応援することは、その先に「福島」を応援することにつながる、という大きな流れが生まれます。

これからの旭南の「ひまわり物語」が、どんな風にひろがっていくのか、とても楽しみです。(*^^)v

ひまわりプロジェクト拡大中

児童会発のひまわりプロジェクトですが,徐々に準備が進んでいます。そして,児童会が輪の中心で活躍しながらも,少しずつまわりを巻き込みながら活動の幅を拡大中です。 今日の昼休みには,プロジェクトのポスターづくりが進められ,6年生の女子を中心にたくさんのメンバーが手伝いに参加してくれました。

ひとりふたりで行えば大変なことも,みんなでやればスムーズに進められるもの。 今後,このプロジェクト内でたくさんの人の助け合いが生まれ,つながりが深まっていくことを期待させる幸先の良い出来事でした。

※なお,この裏側では,児童会の男子メンバーが協力して,来週児童に配付する手紙づくりを慎重に行っていました。

突然ですが・・ ひさしぶり!! (^o^)丿

2校時が終わった休み時間のはじまりタイムです。2年生の教室入口に突然! 西校舎の昇降口にも突然!

なんだか,この久しぶりの後ろ姿,この髪型。・・・・! (*’▽’)

そうです! 3月末で福島のいわき市に転校していったOさん姉妹です。

お母さんと久しぶりに鉾田にやってきたんだそうです。実は昨日が運動会だったので,その振替のお休み。びっくりさせようと,「突然に現れてみました」ってわけです。2年生と5年生たちは,「ひさしぶり~!」とうれしそう。もちろん,Oさん姉妹もうれしそう。

お姉さんのO.Sさんは,「福島ひまわり里親プロジェクト」の交流活動で九州の方にも出かけたそうです。がんばっています。( `ー´)ノ 本校でもいよいよ「旭南ひまわりプロジェクト」が活動を開始しましたので,そちらのつながりも楽しみです。

少しの時間でしたが,久しぶりの「つながり」を確かめ合うことができました。

あ,もちろん,Oさんのお母さんも「ひさしぶりです」って,変わらない笑顔を見せてくれました。PTA活動でもお世話になりましたからね。日帰りの「鉾田」だそうです。本日のとてもうれしいお客様でした。(^o^)

[…]

「旭南ヒマワリプロジェクト」が動き出すっ!(^_-)

昨年度の終わりに、福島に転校していくO.SさんとO.Mさんから託された「ヒマワリの種」。それは、「ひまわり里親プロジェクト」として、福島と旭南小が新しい「つながり」をつくり出すきっかけとなるものでした。

それを受けて、本校の児童会が本日の6校時の話し合いから、いよいよ動き出しました。

今日は、児童会役員が会議をもって、「旭南ヒマワリプロジェクト」として、どういう活動が必要なのか、という話し合いをしました。

「ヒマワリの種をたくさん集めるには」というのが、児童会のテーマです。そのためには、Oさん姉妹から託された「種」だけではもちろん足りません。では、どうするか? という話になったときに、「募金を集めよう」という案がでました。

しかも、募金を児童だけに広めるのではなく、「家の人」や「近所の人」「お店」という案まで出てきました。そのためには、「チラシ」や「手紙」「ポスター」が必要ということも出てきました。これからさらに内容を詰めて行かなくてはなりませんが、少し方向が見えてきた感じがあります。

さて、これからどう具体的に活動が進んでいくでしょうか。子供たちの活動を、学校としてはバックアップしていきたいと思います。(^_^)v

「ひまわり物語」のはじまりが茨城新聞の記事に。(^_-)

18日(水)に特別行事の児童集会で実施した「ひまわりがつなぐ希望のメッセージ」の様子が、本日付けの『茨城新聞』・県北鹿行版に掲載されました。(^_^)v こちらです。

←写真クリックで、拡大して読めます。

「復興のヒマワリ託す」という記事です。O.Sさん、O.Mさん姉妹があの大震災とそのあとの原発事故で着の身着のままの避難をして、お母さんの実家がある南小学区に移り住んだ経緯が書かれています。

そして、あれから4年がたったこの3月いっぱいで、姉妹は元の家には帰れませんが、福島県に帰ることになりました。離れて暮らしていたお父さんともいっしょに暮らせるようになります。

「ひまわり」は、福島の復興を願う花として、福島と全国をつなぐ活動の象徴になっています。「福島ひまわり里親プロジェクト」の活動です。福島から託された「種」を、「里親」として育てて、再び「種」を福島におくる取り組みが行われています。その「種」が翌年には福島に咲き、あるいは油として車の燃料に活用されます。

そんな福島とつながる活動を、転校するO.SさんとO.Mさんが提案してくれたものです。この提案を旭南小学校では、しっかりと児童たちがうけとめ、新年度から「新しいひまわり物語」として活動をスタートさせることになります。

『茨城新聞』では、18日の集会当日、テレビ取材もしています。その様子は、『茨城新聞』のインターネット記事から「youtube」で見ることができます。検索で「ヒマワリの種託す」で見つけても、すぐに見つかります。下記アドレスからも見られますので、どうぞ。(^o^)

www.youtube.com/watch?v=9rP4EMAQzxk 「復興のヒマワリの種託す」

なお、18日(水)の夜、6時台と8時台のNHKの茨城のニュースでも、この「ひまわり」の話は放送されました。ご覧になった家庭もたくさんあるようです。事前にニュース放送の予定がつかめなかったので、おしらせできませんでした。(>_<) 申し訳ありません。学校にはニュース放送のDVDがあります。

なおなお、このブログのページのカテゴリーとして「ひまわり物語」を加えました。今後、本校の「ひまわり物語」に関する活動や、「福島ひまわり里親プロジェクト」とのつながりについては、まとめて見る事ができることになります。(^_^)v

「ひまわり物語」のはじまり!

今朝は臨時の児童集会がありました。この3月で転校していく4年生のO.Sさんと1年生のO.Mさんの姉妹から「ひまわりがつなぐ希望のメッセージ」が伝えられる会です。

二人は、4年前まで福島県富岡町に住んでいました。それが、あの「3.11」の東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故によって大量の放射性物質がまき散らされたことで、着の身着のままの避難をせざるをえなくなったのです。

O.Sさんのメッセージでは、こう語られました。

「4年前の地震の時、私たち家族ははじめは近くの中学校に避難しました。次の日の朝には原発が危険かもしれないという情報があって、富岡町の西にある隣の村に避難するように言われました。私たちが住んでいた家は原発からまっすぐ測ると7kmくらいしかありませんでした。避難するときには、そのあとずっと家に帰れなくなるとは思っていませんでした。」

「隣の村に行きましたが、避難所がいっぱいで入れず、さらに西へと向かい田村市大越町というところの体育館にやっと避難することができました。ここは原発から30kmくらい離れている場所でした。」

「大越の体育館では3日間過ごしました。その間も原発がどうなっているのか確かな情報がないまま、遠くに頼れる親戚や知り合いがいるならそこへ避難した方がいいと言われて、お母さんの実家がある鉾田市に避難してきました。」

「震災後、私たちが住んでいた家は放射能の影響でしばらくは入ることができませんでした。今でも私と妹は震災の前に住んでいた家には一度も入ることができないままです。お父さんとお母さんが地震のあとの家を写真に撮ってきてくれました。大人でも家に戻っていられる時間が決められていたので、庭は草だらけ、家の中は地震があったときのままでした。」

←富岡町の家

当時、幼稚園の卒園式もできずに福島から避難したO.Sさん、妹のO.Mさんとお母さんの鉾田での生活が始まったのが4年前だったのです。

今回、親子は福島県内に住まいを移すことになりました。これで単身で福島で働いているお父さんともいっしょに住めます。でも、富岡町の元の家に戻れるわけではありません。

Oさん姉妹から、旭南小学校のみなさんに提案がありました。「福島ひまわり里親プロジェクト」という”福島と全国がつながる活動”に、旭南小として「ひまわりの里親」として参加しては、という呼びかけです。そして、Oさん姉妹から、本校の児童代表に「ひまわりの種」が託されました。

←ひまわりの種が入ったのお手紙。

児童の代表(次期の児童会長、副会長)からは、「種を育てて、福島に送ります」という誓いのメッセージが伝えられました。種を通してつながりつづけることをみんなで拍手でかくにんしました。

校長先生からは、「Oさん姉妹とは転校で別れてしまうけれども、これはひまわりの種を通した新しい物語のはじまりです」という話がありました。

ひまわりの種が、これから「新しい物語」を作り出し始めます。その主役は、子供たちです。子供たちが「ひまわりの種」を通して心もつながり合えること、旭南小学校の子供たちが復興にがんばっている福島につながること。「新しいひまわり物語」が、いま始まりました。(^o^)

[…]